捜し物が見つからないのにこんなものが。その2

またまた私が得意とする横道に外れます。
探し物が見つからないのにこんな懐かしいモノが出て来ました。
【MGCを作った男】と言う書籍。

多分最初は書店には並ばなかったはずで、直接新日本模型・MGCに注文して送られて来た納品・請求書が本の裏に挟み込まれてました。

MGCって何⁉️と言うあなた、若いです。
モデルガン好きの老人ならばみんなが知っている会社の歴史を綴った書籍なのです。
かくいう私も昔からのモデルガン好きでして、初めてモデルガンを買ったのは中学3年生の時に大阪市上本町にある“モデルン”とかいう名前のお店でした。
店の前ではカタギとは思われないようなやさぐれた兄ちゃんが賭け事に興じているような怪しげな雰囲気。
ここで買ったのはワルサーPPKで黒い金属製(亜鉛合金)。引き金を引くとスライドが前後してマガジンから薬室にカートリッジを送り込み、また引き金を引くと、そのカートリッジをエキストラクターに引っ掛けて排莢するという、例のタニオアクションの銃でございました。

こんな話をすると400字詰め原稿用紙何枚になるんだろ?て事で今回は省略します。(ああ,話したいけど😆)

中を見ると若い頃の国本圭一さん(今はWAの社長)も写っています。右に写っているモデルガンのWAコンバットコマンダー18,000円‼️買いましたよ。

そして次のページに写っている髭の男性は日本のモデルガン界では泣く子も黙るモデルガンデザイナーの小林太三様でございます。

このお方、奈良県奈良市の生まれでして私の住まいとは割合に近いところでお生まれになったと,お会いした時に伺いました。

会ったって?
そうなんですよ。ひょんな機会で奈良に来られた時に、北東向き商店街の中にあったお店の中で色々とお話を伺う機会を得たのです。
そりゃもううれしかったですよ。なんたって憧れの小林太三様なんですから。

この時の小林様の左腕にはTUDORクロノグラフがしっかりと輝いていたところも目に焼き付けておりまする。機械式chronographが好きなのも、この頃にはかなりの境地まで進化してました。

小林太三様は現在はご自身の会社タニオ・コバの社長をされています。
またお会いしたいなぁ。

捜し物が見つからないのにこんなものが。その1

悪化した喘息がまだ良くならないので、撮影には色々気を使うミニカー撮影は今しばらく置いといて、探し物をしていたら大切に仕舞っておいてどこに片付けたか忘却の彼方に行っていたモノが見つかりました。

モノも物、“monoマガジン(ワールドフォトプレス)2003年発行”の《王立科学博物館》シリーズ、超A級保存版‼️
APOLLO IIが月面着陸した様子をジオラマ再現した海洋堂企画制作,発売元タカラ、総監督:岡田斗司夫と言う、マニアックなオマケ付書籍です。

アポロ11号が月面した時は私は高校1年生でした。そりゃもうワクワクしながらほとんど詳細がわからないような白黒の画面で月面中継を観てました。

今ならデジタルでデータが送られてくるだろうからもっと細密なカラー映像が見られたでしょうが、デジタルカメラさえ存在していない1970年です。こんなもんです。

この映像を見た時に、宇宙飛行士の腕に燦然と輝く腕時計“オメガスピードマスター”に一目惚れしたのでした。
それから50年経ってもchronographが好きなのは変わらずで、オメガスピードマスターは私のデファクトスタンダードになっています。

また月に人間が行くところを生きているうちに観てみたいのは私だけでは無いはず🥰

追憶の日々(70歳の昔語り)

Apple Computerの販売に従事していた時、仕入れ先のキヤノン販売(現 キヤノンマーケティングジャパン)の部長だったか課長だったか忘れたが、その方から「福井さん,キヤノン一級技術CE認定試験を受けませんか?」と声を掛けられた。この頃(40歳の頃)は何をやっても楽しかったし、勤めていた会社の中は敵だらけ、しかし外に出れば味方だらけと何ともバランスの可笑しな時代だったので,迷わず「受験します」と答えて、1ヶ月ほど大阪は中之島にあるキヤノン販売に通い詰めて研修を受けました。

そして最後に試験があってしばらくしてから私の勤めていた会社にキヤノン販売の技術部の内部で“チャーリー浜さん”と呼ばれていた辻本課長、いつも笑顔の楽しい方が合格証と認定バッジと記念の工具を届けてくださった。

この時代のApple Computerの販売はキヤノン販売が独占しており、一時期は独禁法に触れて捜査の手が入ったとか入らなかったとかで、私にはとても楽しい時期でした。その後,ゼロックスもAppleの販売を始めた事でようやく平穏になったと思います。

そのゼロックスにも色々とお世話になり、あちこち連れてもらったりお客様を紹介してもらったりと、キヤノンとゼロックスと言えばOAの世界では敵同士だったわけで、私はそのどちらにも関係を持っていた怪しい男でした😎

毎日が学生の頃のように刺激に満ちていて、次から次に新しいコンピュータとそれに関する周辺機器が発表されては発売されていた楽しい時期でした。

1993年、アップルコンピュータ株式会社(現Apple Japan)の当時のCEOだった三田聖二社長からアメリカで発売されたばかりで日本では未発売だったNewtonと言うiPadのご先祖のようなものを頂いたりしたのもこの頃でした。

ハワイに招待された折にパーティ会場で近くに来られたので、「アメリカで発売されたNewtonってやつ,欲しいんです。」と伝えたら,後ろにいた原田部長に「福井さんに送るから住所と会社名を控えておいて。」と言われたのです。
後ろにいた原田部長とは,のちに日本マクドナルドのCEOになる原田泳幸さんでした。
この方、ハワイのパーティ会場で開催された音楽セッションの時にはドラムを叩かれたのです。やはり多彩な方ですねぇ。

そんなこんなで毎日が刺激に満ちた楽しい毎日だったのを今でも忘れた事はないです。はい❣️

20年以上前の戸車を交換

2002年に建てた家のトイレに使っている引き戸の動きが悪くなり、何度か掃除をしたりして使っていましたが、戸車の寿命なのか車輪には細かいヒビが入って、2個ある戸車の片側は真ん中にはクラックが入っていて、近いうちに割れそうな状態になっていたのでモノタロウで探して同じようなものを探して注文しました。

※Amazonで購入

交換したところは下のタイムラプス動画でご覧になってください。