追憶の日々(70歳の昔語り)

Apple Computerの販売に従事していた時、仕入れ先のキヤノン販売(現 キヤノンマーケティングジャパン)の部長だったか課長だったか忘れたが、その方から「福井さん,キヤノン一級技術CE認定試験を受けませんか?」と声を掛けられた。この頃(40歳の頃)は何をやっても楽しかったし、勤めていた会社の中は敵だらけ、しかし外に出れば味方だらけと何ともバランスの可笑しな時代だったので,迷わず「受験します」と答えて、1ヶ月ほど大阪は中之島にあるキヤノン販売に通い詰めて研修を受けました。

そして最後に試験があってしばらくしてから私の勤めていた会社にキヤノン販売の技術部の内部で“チャーリー浜さん”と呼ばれていた辻本課長、いつも笑顔の楽しい方が合格証と認定バッジと記念の工具を届けてくださった。

この時代のApple Computerの販売はキヤノン販売が独占しており、一時期は独禁法に触れて捜査の手が入ったとか入らなかったとかで、私にはとても楽しい時期でした。その後,ゼロックスもAppleの販売を始めた事でようやく平穏になったと思います。

そのゼロックスにも色々とお世話になり、あちこち連れてもらったりお客様を紹介してもらったりと、キヤノンとゼロックスと言えばOAの世界では敵同士だったわけで、私はそのどちらにも関係を持っていた怪しい男でした😎

毎日が学生の頃のように刺激に満ちていて、次から次に新しいコンピュータとそれに関する周辺機器が発表されては発売されていた楽しい時期でした。

1993年、アップルコンピュータ株式会社(現Apple Japan)の当時のCEOだった三田聖二社長からアメリカで発売されたばかりで日本では未発売だったNewtonと言うiPadのご先祖のようなものを頂いたりしたのもこの頃でした。

ハワイに招待された折にパーティ会場で近くに来られたので、「アメリカで発売されたNewtonってやつ,欲しいんです。」と伝えたら,後ろにいた原田部長に「福井さんに送るから住所と会社名を控えておいて。」と言われたのです。
後ろにいた原田部長とは,のちに日本マクドナルドのCEOになる原田泳幸さんでした。
この方、ハワイのパーティ会場で開催された音楽セッションの時にはドラムを叩かれたのです。やはり多彩な方ですねぇ。

そんなこんなで毎日が刺激に満ちた楽しい毎日だったのを今でも忘れた事はないです。はい❣️